『猿股』出演者紹介・保倉大朔
こんにちは、お久しぶりです。
実は、第9回インディーズムービー・フェスティバルにて自主映画『風紀・JAPAN』で昨年入選した、福本博史監督と言う熱い40男を、息子・保倉大朔に紹介され、新作の2シーンに出演していました。
昨日、ボクの出ているシーンは終了しました。
久しぶりの現場、やはり楽しいですね!
ボクの役所は、地元テレビ「チャレンジTV」のコメンテーターで評論家役。そして同じコメンテーターで大学教授の役に、舞芸の同期で中村座でも2,3年一緒だった鶴間さん(一色凉太)。
いや~、久しぶりで3日間仕事終わってから3時間くらいずつ飲み、かつ語りました。息子も『チャレンジTV』のディレクター役で出演。映画で初共演になりました。
さて、今日は今回久しぶりに共演することになった、息子、保倉大朔をご紹介します。
舞芸を卒業して、同期だった保倉宣子と23才で所帯を持ち、大朔は27才の時の子です。「三田村大朔」と届けを出したのですが、ちょうど名付け用漢字が制限されだした年で、役所に却下され一週間後に「邦人」で届けを出しました。
ボクは彼が5歳になった年に、女房と彼を捨て、家を出ました。
父親は死んだと思っていたようです。しかし、大きくなってから親戚の叔父に「お父さん生きてるよ」と。しかも芸能界にいるらしいと聞き、三田村邦彦が父親かと思ったそうです。
その後、芝居をやっているらしいと分かり、ぴあとか色々調べたようで、22才のとき新宿南口の“スペース0(ゼロ)全労済ホール”に訪ねてきてくれました。モードの全盛期で『私が子供だった頃』の北海道版と瀬戸内版を観に来てくれました。
17年ぶりの再会でした。
その夜、仲間と一緒に飲み、帰りは送ってもらいました。
バンドを組んでギターをやっていました。
それからは月一くらいのペースで我が家で、彼女を含め飲んでいます。(何人変わりましたが)
いつも芝居を観に来ていたのですが、そのうち、知らぬ間に舞芸に入学していました(99年)
2001年にはトム・プロの『親友』(作・演出 水谷龍二)の舞台に立ち、2002年に三田村組『やじろべい』(作・今いそむ 演出・木村健三)で親子初共演。そして去年は“uncle jam”を旗揚げ、『サンドイッチマン』をプロデュース。
また出演した、SPIRAL MOON『みちかける』(演出 秋葉正子)が愛知芸術劇場フェスティバルにてグランプリを受賞。
芝居のことはさておき、植吉では親方の次に仕事のできる若者頭で、私の師匠です。
ボクが育てなかった分、きっちりいい子に育っておりますが、芝居はこれから。自分のよってたつところを早く見つけてください。
…自分の身内のことは、うまくかけないモノですね。
今日はこれにて。