「父との夏」動き始めました。

皆さん、こんにちは!

「home」が終わって以来、久しぶりのブログです。 3ヶ月、植吉で必死で働いておりました。 何とか4月の本番に向けて、制作及び恵子体制を作ることができました。 ご心配おかけしてすみません、ご報告いたします。

1月14日に台本の第二稿ができ、お昼からチラシ、宣材のための写真を青山米軍ヘリコプター場横の広場にて撮影。 その後我が家にて、演出の高橋いさをさん(以下、いさをさん)を囲んで本読み、と第二稿についての意見交換。 そして夕方からは飲み会。 皆、この作品がとても好きなことを改めて確信。

宣伝美術の由比まゆみさんと、いさをさんと、ボクとでチラシについて話し合い。 ボクは「home」より、とにかくインパクトの強いものを、という要望を出しました。 いさをさんは、とにかく汽車を入れて欲しいということで、由比さんに託しました。 そして1月25日には、制作の島田敦子さん、早川あゆさんと新宿にて作戦会議。

夜9時半過ぎから、新宿「お多幸」にて、3人で飲む。 この「お多幸」は舞芸時代から20代後半まで、金杉さんとアルバイトしていたお店です。 ここに来ると、演劇を志したころのさまざまな想いに、いつも胸が熱くなります。 関東炊きのしょうゆ味のおいしいおでん。 新宿店の店長はボクよりひとつ上の、当時から一緒に働かせてもらった先輩店員だった王さんです。 ボクにとって東京で一番心安らかに飲めるお店です。

…話が大きく逸れましたが、制作問題の中心はやはり集客です。
ボクがこの作品を読んで、ぜひ三田村組でやりたいと思った時、一番に思ったことは、ものすごく地味なメンバーでやりたい、ということでした。
そして、一番目の出演者は、17才の泣き虫少年兵役に、バウスプリット(ボクがサワズにいたときの社長が新しく興した会社)の水口ケンロウくん。 彼は売り出し中の役者ですが、フリーになったボクがTV、映画をやる時に、社長が「三田村さんのマネージャー役もやれ!」とつけてくれ、この3年ボクの面倒をみてくれておりました。 彼をボクが、今度は売ってあげたいと思ったのです。

そこから始まり、一年かけていろいろな舞台を観ながら、田口朋子さん、石井悦子さん、蒲田哲さんをキャスティングしました。 他のメンバーについては、また次回以降に。

そんなこんなでチラシが出てきました。素晴らしいチラシで一稿一発OKでした。 5日にあがります。 ぜひ見てやってください。

本日はこれにて。
しばらくぶりの近況報告でした。

2010-02-02 | Posted in ブログNo Comments » 

関連記事

Comment





Comment