いわき市と仙台に行ってきました。

いわき市と仙台をまわって、一昨日帰って参りました。

5軒隣のおうちから、ご厚意で軽のバンを借り、モダンスイマーズ座長の西條君が運転を引き受けてくれ、原田恵子さんも一緒に行ってくれることになり、二台でまずいわき市にある尾形真智子さんの家に向かいました。午前11時ごろ出発、午後4時ごろには着きました。

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孫の春休みで、福島の尾形賢二夫妻は、娘のいわき市の家に来ていて震災に遭われたわけです。
常磐共同火力発電所と6号線の土手にすくわれ、6号線の車道を押し寄せてきた津波は、床下浸水で免れましたが、家の前まで公衆トイレやら魚がはね回ったとのことで、家の周りはヘドロがいっぱいという状態でした。

持参した物資(それほど大げさな物ではありませんが、ボクと妻と、西條君、原田君で揃えられた物)をおろし、家にあげてもらい当日の地震のすごさを聞きました。

台所ではレンジやら食器やらが横に飛び、押し入れの戸がこたつの上に落ちて家中がメチャメチャになったという携帯の写真を見せてもらい、そこから車で非難しようとして車が進まないようす。やっと少し高いところのコンビニの前で一晩、雪降る中、震えながら子ども(小学生と幼稚園児)を励ましながら過ごした夜の話…。

真智子さんの案内で佐糖町、岩間町、小浜町を見てきました。全滅です。砂浜が消え、堤防が砕け飛び、テトラポットは陸に上り、墓地はすべて破壊され、木は倒れ、家の下に車が入り、ただ言葉もなく目に焼き付けました。

それから真智子さんの家の前だけ少し、ヘドロを片付け、ボク等は野宿するつもりで行ったのですが、芝居を観に来てくれるときはすぐ帰るのでゆっくり話をしたこともないし、昔の話もしたいということで、ご好意に甘えることにし、大いに飲み語り合いました。ご主人は銀行マンで、被災者とのお金の業務で19時ごろ帰ってこられ、子どもが20時に寝てから、これまた話が盛り上がりました。

福島は、震災、津波、原発、と風評被害でものすごく苦しんでいます。昨年の秋の米までが福島産はもう売れないということで返品されてきている有様です。
賢二さんも定年して2,3年。じっくり野菜を作っていたのですが途方に暮れております。

関東圏の電力を支えるために、福島では全く使わない電力のために、これほどひどい目に遭っております。
日米の関係を支えるために戦後一貫して犠牲になり、今もそれを強いられてる沖縄─今の福島は沖縄です。
ボク達はもう一度根本的にこのことを考えましょう。

1960年代の米ソ核実験のころ、日本人が浴びていた放射線量は今の何百倍です。
東京電力をとことん突き詰めることと、もう一方で福島の農作物、畜産物、水産物、その他の品物をぜったいに差別しないことしか福島を救う、いや、日本の復興はあり得ません。

また続きを。

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尾形さんご一家と、西條君、原田さん。

2011-04-08 | Posted in ブログNo Comments » 

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